ハンセン病

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  1. · FNNプライムオンライン · 家族にも及んだ差別・偏見 瀬戸内市のハンセン病療養所で「元患者家族の補償金」独自アンケート【岡山】
  2. · 山陽新聞 · 【光探して ハンセン病・予防法廃止30年】「社会がどう変わったか」 長島愛生園・石田雅男さんに聞く
  3. · 朝日新聞 · 101歳の社会復帰「自由っていいねえ」 ハンセン病施設から故郷へ

ハンセン病:偏見の連鎖を断ち切る、社会の『光』を探して

タイトル: ハンセン病療養所から届く最新の声|101歳の「自由」と、家族に及んだ差別の真実

主な出来事:高齢化する療養所と、変わりゆく社会の接し方

近年、日本のハンセン病(ハンセン病)をめぐる話題が再び注目を集めている。それは、治癒可能な病気でありながら、長い歴史の中で社会から隔離されてきた患者とその家族が歩んできた道のりと、現在に至るまで続く偏見の問題だ。

特に、2021年の「ハンセン病予防法廃止」から30年が経過した今、療養所で生活する高齢者たちの「社会復帰」や、療養所の存続問題、そして何よりも、患者家族にも深く刻まれた差別の記憶が、改めて問われている。

「自由っていいねえ」──101歳の社会復帰に込められた意味

朝日新聞の2021年9月の報道によると、兵庫県の長島愛生園で約70年間を過ごした男性(当時101歳)が社会復帰を果たした際、車窓からの景色を見てこう語ったという。「自由っていいねえ」。

この一言は、長い間、療養所という閉ざされた世界で暮らしてきた人々が、外の世界をどう感じていたのかを象徴している。長島愛生園は、日本最大のハンセン病専門療養所の一つであり、ここでの生活は、かつての「隔離政策」の歴史を色濃く反映している。戦前・戦中は「無菌室」と呼ばれた島の外への出島も制限され、療養所内の学校に通い、そこで就労し、生涯を終えることが「普通」であった。

しかし、2021年9月の法廃止から30年を経た今、療養所に残る入所者の平均年齢は80代後半から90代と高齢化が進んでいる。社会復帰を希望する入所者もおり、行政やNPOがサポート体制を整え、地域での生活を支援する動きが広がりつつある。101歳での復帰は、単なる個人の出来事ではなく、「人生の終焉に至るまで、自由な選択をさせたい」という社会の意識の変化を映し出している。

<center>長島愛生園の風景</center>


直近のアップデート:家族への補償問題と、地域社会の歩み寄り

「元患者家族への補償金」──瀬戸内市の独自調査が浮き彫りにしたもの

ハンセン病問題の核心の一つに、「家族への差別と偏見」がある。FNNプライムオンラインが2021年頃に報じた岡山県瀬戸内市の事例では、同市の療養所「邑久光明園」が、かつて患者の家族として差別を受けた人々(元患者家族)に対して独自のアンケート調査を実施し、補償金の支払いを検討していることが明らかになった。

調査の詳細はまだ確定していないが、ここでは療養所と連携した元患者家族の補償制度を検討する動きが具体的な形で始まっている点が重要だ。多くの元患者家族は、患者の存在を隠さなければならず、嫁いだ娘が実家に帰れなくなる、近隣から冷たい目線を向けられるなど、社会的に孤立した。その苦しみは、当事者と同様に、あるいはそれ以上に深刻であった。

「社会がどう変わったか」──30年の歩みを振り返る

山陽新聞が報じた「ハンセン病・予防法廃止30年」特集では、長島愛生園で70年近くを過ごした元患者・石田雅男さんが、社会の変化を語っている。

「今は誰でも自由に触れ合える。でも、昔は触れただけでも『传染する』と怯えていた。偏見は見えないが、今でもある」

(石田雅男さん、山陽新聞より引用)

石田さんの発言は、法制度が変わっても、心の偏見(スティグマ)は簡単には拭えないことを如実に示している。法廃止から30年。社会は確かに進んだ。患者の権利が認められ、療養所の入所を強制されなくなった。しかし、療養所という「場所」が、今もなお社会に存在し続けることは、偏見の完全な解消には至っていない証拠でもある。


歴史的・文化的背景:なぜ隔離は続けられたのか

「隔離政策」の歴史と、その名残

日本のハンセン病対策は、明治時代に島根県で療養所が開設されたのが始まりとされる。1907年に「癩予防法」が制定され、患者の強制収容が公式に制度化された。この法律は、戦時下にさらに強化され、患者は「戸籍」の世帯主欄に「癩」と記載されるなど、法的にも社会的にも排除された。

この政策の背景には、「ハンセン病は伝染し、完治しない」という当時の医学的誤解と、それによる社会的恐怖があった。実際、1950年代に sulfone系の薬が開発され、薬を飲むだけで治る病気になっていることが世界でも確認されたが、日本の社会から偏見が消えることはなかった。

「癩予防法」から「ハンセン病」への改名、そして法廃止

1953年に旧法は「癩予防法」と名称が変更されたが、内容は強制隔離のまま。ようやく2001年5月、「ハンセン病対策の基本に関する法律」が制定され、強制隔離を廃止。治療を受け、伝染性がなくなった患者は社会に復帰できる権利が法的に保障された。これがいわゆる「ハンセン病予防法廃止」だ。

しかし、法廃止から20年以上が経った現在も、全国に13の国立療養所とそれに準ずる施設が残り、約1,700人(2020年時点)が入所している。その大半は80代以上の高齢者だ。療養所は高齢者施設としての機能も兼ねるようになり、「社会復帰」よりも「終の棲家」としての役割が強まっている面がある。

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