小泉セツ

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小泉セツ:NHK朝ドラ『ばけばけ』で注目される作家ラフカディオ・ハーンの妻

はじめに:「ばけばけ」で再び浮かび上がる小泉セツの生涯

2025年秋、NHK連続テレビ小説『ばけばけ』が大きな話題を呼んだ。本作の主人公モデルとなったのは、日本文学に深く影響を与えた作家「ラフカディオ・ハーン(後に小泉八雲と名乗る)」とその妻・小泉セツ(節子)。戸籍上の名前は「セツ」だが、本人は「節子(せつこ)」という表記を好んだといわれている。

彼女は単なる家庭内の補助的存在ではなく、八雲の世界的な成功を支える「語り部」としての重要な役割を果たしていたことが近年明らかになってきている。特に、代表作『怪談』の原典収集や執筆環境の整備、さらには八雲の思想的基盤形成にも深く関わっていた。

本稿では、公式ニュース報道に基づき、小泉セツの生涯を中心に展開し、彼女がどのようにして八雲を押し上げたのか、また現代の視点から見るとどんな人物なのかを解説する。


小泉セツの生い立ちと最初の結婚

松江藩士の娘としての誇りと運命の転換

小泉セツは、明治元年(1868年)2月4日(戸籍記載によれば26日)、島根県松江市南田町で生まれた。実父は松江藩の上級士族・小泉湊、実母はチエ。小泉家は代々松江藩に仕えてきた由緒ある士族の家系であり、セツも武家の娘として高い教養を身につけるよう育てられた。

しかし、明治維新後の社会変革により、没落士族が相次ぐ中、小泉家も財政的困窮に陥っていた。この背景もあり、セツは若い頃から早くから結婚生活を余儀なくされた。

最初の夫との出奔

セツの最初の夫は、同じく没落士族の出身者だったが、その夫は政治的野心家であり、実際に戊辰戦争の際には薩摩藩に味方していた。戦後、夫は幕府側に加担したとして追放され、帰郷したものの、再び出奔せざるを得なくなった。

この出奔は、当時の女性にとって極めて厳しい試練だった。夫を離れ、一人で東京へと向かう必要があった。これが、彼女の人生の大きな転機となる。

「セツとは最期まで『住む家』で折り合わなかった…小泉八雲が亡くなる2年前に引っ越しを決行した理由」(Yahoo!ニュース)
——この記事は、彼女が常に「自分自身の居場所」を模索し続けた強さを映し出している。


運命の出会い:ラフカディオ・ハーンとの出会い

東京での新生活と文化の邂逅

夫を失ったセツは、東京に移り、親戚の下宿で暮らすことになった。そこで彼女は、文学や歴史、民俗学に興味を持ち始める。その過程で、留学中のフランス人教師・ラフカディオ・ハーン(後に小泉八雲と改名)と知り合う。

ハーンはギリシャ系ロシア人で、日本に滞在中に『怪談』などの日本の幽霊話を英語に翻訳し、世界に紹介する活動を始めていた。彼の知識と熱情に感銘を受けたセツは、徐々にその周囲に身を置くようになる。

結婚と共同生活の開始

1890年、二人は結婚式を挙げる。当時の日本では外国人との結婚は珍しく、特にハーンはギリシャ正教の洗礼を受けており、社会的な注目も大きかった。しかし、セツはハーンのキャリアを支援する覚悟を持っていた。

結婚後間もない時期、ハーンは東京帝国大学(現・東京大学)の講師として採用され、年俸は約1億9200万円(当時の価値)。しかし、その後任となった夏目漱石の年俸は3200万円にとどまったため、ハーンの採用費用は「私大の雄」としての評価とも言える。

この経済的安定は、セツが執筆支援に専念できる土壌となった。


小泉八雲の作家としての成功を支えた小泉セツの“意外な才能”

『怪談』誕生に不可欠な存在

NHK『ばけばけ』では、小泉八雲とセツの東京生活が駆け足で描かれるが、実際には彼女が八雲の創作活動を支える基盤作りに多大な貢献をしていたことが近年明らかになっている。

特に注目すべきは、『怪談』の原典収集に関する彼女の役割だ。八雲が直接訪れた地方の民話を聞き取り、整理するだけでなく、セツは自身の母方の出自(松江藩士族)を活かして、旧家や寺院、地方の情報源とのつながりを築いていた。

「ただの『学のない妻』ではなかった…ばけばけでは描きづらい、八雲を世界的作家に押し上げたセツの『意外な才能』」(関連記事)
——彼女は単なる補助者ではなく、創作の源泉を探る「情報ネットワーカー」であった。

家族との関係性も創作活動に直結

セツとハーンの間には三人の子どもがいたが、長男の夭折など家庭内の苦難も多かった。しかし、彼女は子どもたちの教育にも力を入れ、特に娘たちには英語や日本文学を教えるなど、現代的な家庭教育を行っていた。

また、八雲が病気になった際も、看護や執筆環境の維持を徹底的にサポートしている。八雲が1910年に死去するまでの10年間、彼女は「八雲のために生きる」姿勢を貫いた。


晩年と死別後の孤独:最後の引っ越し

八雲死後の生活

1910年、小泉八雲が死去。妻・セツはその遺志に従い、東京の自宅を離れ、静岡県清水町に引っ越した。この引っ越しは、彼女にとって最大の決断だった。

「セツとは最期まで『住む家』で折り合わなかった…八雲が亡くなる2年前に引っ越しを決行した理由」
——八雲は生前、「死後は清水に移りたい」と言っていた。セツはこれを無理なく実行した。

しかし、八雲の死後、セツは完全に孤独の生活を送ることになった。彼女は『八雲全集』の編纂にも参加し、夫の遺志を継ぐことを誓っていた。

1932年、71歳で死去

1932年2月18日、小泉セツは清水町で安らかに逝去。墓標は東京の青山霊園にある。


文化的・社会的意義と現代への影響

女性の自立と知的活動の先駆者

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