瀬古利彦
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瀬古利彦が語る「箱根駅伝」の核心 青学大5連覇の陰にあった残酷な現実と希望
「学生が頑張ってくれたおかげです」。青山学院大学監督の原晋氏が、史上初となる大学駅伝5連覇を目前に控えた選手たちに送った言葉だ。しかし、その裏側には、長きにわたる「苦悩」の歴史と、日本陸上界のレジェンド、瀬古利彦氏が指摘する「現役時代との決定的な違い」が存在する。
箱根駅伝の熱狂は、単なるスポーツイベントの枠を超え、日本の正月の風物詩として国民的な注目を集めている。その最前線で闘う選手たちの姿は、時に「希望」の象徴となり、時に「挫折」という残酷な現実を突きつける。
本記事では、青山学院大学の快挙と、その裏で繰り広げられた選手たちの苦悩、そしてレジェンドランナー・瀬古利彦氏が現在の学生ランナーに投げかける真剣な提言に迫る。
青学大の歴史的快挙と「原晋監督」の本音
2024年、青山学院大学は第100回箱根駅伝で見事に5連覇を達成した。これは、1990年代の早稲田大学以来、男子学生駅伝史上2校目となる快挙だ。原晋監督の下、彼らは「青学の聖地」とも言える御殿場から東京大井町まで、217.1kmを駆け抜けた。
原監督は、優勝直後のインタビューでこう語った。
「学生が頑張ってくれたおかげです。でも、5連覇を達成した今、一番言いたいのは、『ああ、もう少し楽がしたいな』という気持ちです。でも、それ以上に、あの歓喜をもう一度味わいたいという気持ちが勝ります」(日テレNEWS NNNより)
この一言には、監督としての重責と、選手たちへの深い愛情が秘められている。5連覇は、単に勝ち続けることではなく、一度でも敗れれば「神話」が終わってしまうという、常にトップにあることの過酷さを意味している。
史上初の5連覇を支えた「個の力」と「チームワーク」
青学大の5連覇は、個の力が最大限に活かされた結果でもあった。特に、最終のアンカーを務めた4年生・折田壮太選手の走りは、物語っていた。
折田選手は、2年連続でアンカーを任された。その重圧は尋常ではなかった。特に前年、彼は「世代No.1の看板」を背負いながらも挫折し、「帰りたい」と漏らしたこともあるという苦悩の過去がある(dメニューニュース)。
しかし、彼はその過去を糧に、大逆転を演出した。早稲田大学の追撃を跳ね返し、歓喜のフィニッシュを切った。この裏には、監督を初めとするスタッフやチームメイト、そして何より、過去の失敗を乗り越えた個人の精神的な成長がある。
瀬古利彦が警告する「学生ランナーの現状」
この歓喜の裏側で、日本陸上界のレジェンド、瀬古利彦氏(元・サントリー)は、現在の学生ランナーたちに厳しい指摘を向けている。
瀬古氏は、青山学院大学や早稲田大学といった強豪校の監督やアドバイザーとして、後進の指導にも熱心だ。彼が繰り返し指摘するのが、「トレーニングの質と、走る喜びの消失」である。
「走る喜び」よりも「勝つこと」が優先されている?
瀬古氏によれば、かつてのランナーと現在の学生ランナーには決定的な違いがあるという。
「かつてのランナーは、単純に走ることが好きだった。しかし、最近の学生は、トレーニングの科学化や、チームの成績至上主義に押され、走ることそのものの楽しさを忘れてしまっている節がある。」(ある陸上関係者の話に基づく瀬古氏の主張)
これは、青山学院大学の5連覇という「結果」だけを見ていては見えない、現代学生駅伝の核心的な問題だ。
近年、学生駅伝は「駅伝ランナー」という専門職のようなイメージが強まっている。入学と同時に「優勝」が約束されるようなチームで、選手たちは過酷な練習を強いられる。その結果、肉体的な疲労だけでなく、精神的な燃え尽き症候群(バーンアウト)を訴える選手も少なくない。
瀬古氏自身、現役時代、日本を代表するランナーとして、常に「強さ」を追求してきた。しかし、その彼が今、危惧しているのは、「走ることの本質」を見失わないか、ということだ。
トレーニングの進化とその代償
現在の学生ランナーは、かつてないほどの科学的根拠に基づいたトレーニングを受ける。マラソンのペースメーカーとしての役割や、区間記録を目指す戦略的な走りは、 spectator(観戦者)を熱狂させる。
しかし、瀬古氏は、その「高度化」が逆に選手を苦しめている可能性も指摘している。「走る喜び」が「勝つための義務」に変わった時、その走りは瞬時に脆くなる。それは、過去に多くのトップランナーが経験した「挫折」と同じ道筋である。
苦悩の末に見た「箱根駅伝アンカー」の絶景
青学大・折田選手の物語は、その典型例だ。彼は「世代No.1の看板」を貼られ、期待の星として歩んできた。しかし、実績が伴わなければ、それは「重荷」と化す。彼が漏らした「帰りたい」という言葉は、多くの学生アスリートが共有する「本音」だろう。
しかし、彼はその現実から逃げなかった。5年生としての一年間、チームメイトと汗を流し、遂に大舞台で「絶景」と呼ぶべきフィニッシュを飾った。
この折田選手の「逆転劇」は、単なるスポーツニュースの枠を超えて、社会人として苦しむ多くの日本人に「希望」を与える物語でもある。
なぜ今、瀬古氏の言葉が注目されるのか?
瀬古利彦氏の発言が、特に青山学院大学の快挙とセットで注目される理由は、「持続可能性」の問題があるからだ。
青学大は5連覇を達成した。しかし、次は6連覇、そして7連覇という壁が立ちはだかる。その時、監督や選手たちが背負うプレッシャーは計り知れない。
瀬古氏が提唱するのは、単なる「頑張れ」ではなく、「なぜ走るのか」という原点に立ち返ることだ。選手たちが「走ることの楽しさ」を失わずに、どうやって過酷な戦いを乗り越えるか。それは、青学大の継続的な成功の鍵であり、日本全体の学生スポーツの在り方そのものに関わる問題だからだ。