高村光太郎
Failed to load visualization
高村光太郎のアトリエが存続の危機に? 十和田湖畔の「乙女の像」を生んだ場所を守るための活動が本格化
詩人であり彫刻家としても知られる高村光太郎(1883~1956年)。彼の晩年、十和田湖畔にある象徴的な彫刻「乙女の像」の塑像が制作された、東京・中野のアトリエが、今、存続の危機に瀕しています。歴史的価値の高いこの建物を守り、未来へと繋げようと、有志による保存活動が本格的に始動しました。青森県十和田市関係者からも支援の署名が寄せられるなど、その輪は広がりを見せており、関係者はさらなる支援を呼びかけています。この記事では、高村光太郎と「乙女の像」の関係、アトリエの現状、そして保存活動の今を詳しく解説します。
なぜ今、高村光太郎のアトリエが注目されているのか?
高村光太郎は、明治から昭和にかけて活躍した日本を代表する芸術家の一人です。詩集『道程』や『智恵子抄』は広く知られ、教科書にも掲載されているため、多くの日本人が彼の作品に触れたことがあるでしょう。彫刻家としては、父である高村光雲も著名であり、光太郎は幼い頃から芸術に囲まれた環境で育ちました。
高村光太郎は、東京美術学校(現在の東京藝術大学)で彫刻と油絵を学び、その後、ニューヨークやパリで西洋美術を研究しました。ロダンの影響を受けながらも、独自の表現を追求し、数々の名作を生み出しました。新宿中村屋には、光太郎の作品が展示されており、その才能を垣間見ることができます。
今回、存続の危機に瀕しているアトリエは、光太郎が晩年の3年半を過ごし、「乙女の像」の塑像を制作した場所として、特別な意味を持っています。斜めの屋根と北向きの大きな窓が特徴的なこのアトリエは、光太郎の創作活動を支えただけでなく、彼の精神的な拠り所でもありました。
十和田湖畔のシンボル「乙女の像」と高村光太郎
「乙女の像」は、十和田湖畔に佇む高さ約2.3メートルのブロンズ像で、十和田湖のシンボルとして広く親しまれています。この像は、十和田湖を訪れる人々に安らぎと美しさを与え続けており、多くの観光客が記念撮影をする人気のスポットとなっています。
高村光太郎は、この「乙女の像」を制作するにあたり、モデルを立てずに自身の理想とする女性像を追求しました。そのため、「乙女の像」は特定の人物を模したものではなく、普遍的な美しさを表現した作品と言えるでしょう。光太郎は、自然との調和を重視し、十和田湖の風景に溶け込むような像を制作することを目指しました。
アトリエ存続の危機:背景と現状
しかし、近年、このアトリエの老朽化が進み、維持管理が困難になってきました。所有者の高齢化や後継者不足も重なり、建物の取り壊しも検討されるなど、存続が危ぶまれる状況となっています。
このような状況を受け、高村光太郎を敬愛する人々や、彼の作品を後世に伝えたいと願う人々が立ち上がり、アトリエの保存活動を開始しました。クラウドファンディングなどを通じて資金を募り、建物の修繕や維持管理を行う計画です。
有志による保存活動:具体的な取り組み
保存活動の中心となっているのは、地元の文化団体や高村光太郎の研究者、そして彼の作品を愛する一般の人々です。彼らは、アトリエの歴史的価値を広く知ってもらうためのイベントや展示会を開催したり、建物の修繕に必要な資金を集めるための寄付を募ったりするなど、様々な活動を展開しています。
具体的には、以下のような取り組みが行われています。
- アトリエの修繕: 老朽化した屋根や壁の修繕、耐震補強など、建物を維持するための工事を行います。
- 資料の整理・保存: アトリエに残された光太郎の資料や作品を整理し、適切な環境で保存します。
- 展示会の開催: アトリエや光太郎の作品に関する展示会を開催し、その魅力を広く伝えます。
- イベントの企画: 講演会やワークショップなど、光太郎の作品や思想に触れることができるイベントを企画します。
- 情報発信: ウェブサイトやSNSを通じて、アトリエの現状や保存活動の情報を発信します。
支援の輪を広げるために:私たちができること
アトリエの保存活動を成功させるためには、より多くの人々の理解と協力が必要です。私たち一人ひとりができることは、決して少なくありません。
- 情報の発信: アトリエの現状や保存活動に関する情報を、家族や友人、SNSなどで共有しましょう。
- 寄付: クラウドファンディングなどの寄付に参加し、資金面から支援しましょう。
- イベントへの参加: 展示会やイベントに参加し、アトリエの魅力を体感しましょう。
- ボランティア: アトリエの清掃や資料整理など、ボランティア活動に参加しましょう。
- 関心を持つ: 高村光太郎の作品に触れ、彼の思想や生き方について学びましょう。
高村光太郎が私たちに教えてくれること
高村光太郎の作品は、私たちに多くのことを教えてくれます。自然を愛し、人間を愛し、そして何よりも真実を追求する彼の姿勢は、現代社会においても重要な指針となるでしょう。
彼の詩には、自然の美しさや人間の心の葛藤、そして愛の喜びが描かれています。また、彼の彫刻には、力強さや優しさ、そして生命の尊さが表現されています。
高村光太郎の作品に触れることで、私たちは自分自身の内面を見つめ直し、より豊かな人生を送ることができるでしょう。
今後の展望:アトリエの未来
アトリエの保存活動が成功すれば、ここは高村光太郎の作品を展示する記念館として、または芸術家たちの交流拠点として、新たな役割を担うことができるでしょう。また、地域活性化にも貢献することが期待されます。
アトリエが未来へと繋がることで、私たちは高村光太郎の精神を受け継ぎ、次世代へと伝えていくことができるのです。
まとめ
高村光太郎のアトリエは、日本の近代美術史における重要な遺産です。この場所を守り、未来へと繋げるために、私たち一人ひとりができることを考え、行動することが大切です。高村光太郎の作品に触れ、彼の精神に学びながら、アトリエの保存活動を応援していきましょう。
参考資料
- Web東奥 - 十和田湖畔「乙女の像」生んだアトリエが存続の危機:https://news.yahoo.co.jp/articles/b86dfee3edad1b06cc04a4b6c496c39c80bde712
- 東奥日報社 - 「乙女の像」生んだアトリエ守りたい/東京・中野:https://www.toonippo.co.jp/articles/-/1989227
- Wikipedia - 高村光太郎: [https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%
Related News
More References
「乙女の像」生んだアトリエ守りたい/東京・中野
詩人・彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)が晩年、十和田湖畔にある「乙女の像」の塑像を制作した東京・中野のアトリエが存続の危機にある。歴史的に価値の高いこの建物を残そうと、有志らが活動を本格化させた。青森県十和田市関係者からも署名が寄せられているといい、「支援の輪をさらに広げたい」と方策を模索している。高村は亡くなるまでの3年半をこのアトリエで暮らした。斜めの屋根と北側に向く大きな窓が印象的
十和田湖畔「乙女の像」生んだアトリエが存続の危機 有志ら保存 ...
高村光太郎が「乙女の像」塑像の制作に取り組んだ東京・中野のアトリエ。有志による保存活動が続けられている 詩人 ...
四十数年ぶりに高村光太郎詩集を読む
四十数年ぶりに『高村光太郎詩集』を引っ張り出して読んでみた。 大方の詩はすっかり忘却していたが、覚えていたもの、数行をはっきりと思い出せるものもあった。中学の授業で読んだ(読まされた)「道程」「冬が来た」「ぼろぼろな駝鳥」。高校一年 ...
【作家の責任を問う】茂吉と光太郎
本音がのぞくのである。 藤沢周平さんが平成元年、県立鶴岡北高校の同窓会「如松会」東京支部で行った講演は、歌人斎藤茂吉と詩人高村光太郎の、戦争協力に対する責任の取り方について、文字通り歯に衣着せぬ言及をしている。茂吉の自省のなさを指摘 ...
人を愛し自然を愛する人間としての生き方を教えている
明治18年(1885)6月29日に開校した、東京都荒川区立第一日暮里小学校の校門前に、創立百周年記念高村光太郎書「正直親切」の記念碑があり、説明の看板もありました。 「正直親切」の文字は、本校卒業生である高村光太郎の直筆で、 昭和26年岩手山口小学校 ...