2,000 + Buzz 🇯🇵 JP
Trend visualization for 嵐

二宮和也、涙ながらに語る…小倉智昭さんは「嵐のお父さんでした」お別れの会で偲ぶ

国民的アイドルグループ「嵐」のメンバー、二宮和也さんが、昨年12月に逝去されたフリーアナウンサー・小倉智昭さんのお別れの会に参列し、故人を偲びました。会場となったのは、東京・南青山のブルーノート東京。多くの関係者が集まり、小倉さんの思い出を語り合いました。二宮さんの言葉からは、小倉さんと嵐との深い絆が感じられ、多くのファンが感動に包まれました。

小倉智昭さんお別れの会、多くの著名人が参列

2024年3月17日、小倉智昭さんのお別れの会がしめやかに執り行われました。会場には、二宮和也さんをはじめ、薬丸裕英さん、宮根誠司さんなど、多くの著名人が参列。小倉さんの人柄を偲び、別れを惜しみました。祭壇には、笑顔の小倉さんの遺影が飾られ、会場は温かい雰囲気に包まれました。

献花をする著名人 お別れの会

二宮和也、小倉さんとの思い出を語る「お父さんでした」

献花を終えた二宮和也さんは、取材に応じ、目に涙を浮かべながら小倉さんとの思い出を語りました。「ご本人は楽しい場が好きな方だったので、みんなで思い出を話しながら笑って送れたのかなと思います」と語り、小倉さんの人柄を偲びました。

特に印象的だったのは、「小倉さんは、僕らにとって、お父さんでした」という言葉。二宮さんは、嵐がデビューした頃から小倉さんに可愛がってもらい、数々の番組で共演する中で、深い信頼関係を築いてきたと語ります。小倉さんは、嵐のメンバーが出演するドラマやDVDを必ずチェックし、番組で共演する際には「僕も初めてだから一緒に楽しもう」と声をかけてくれたそうです。

「最後まで心配してくれていた気がしますが、大人なので心配させないように頑張りたいです」と、二宮さんは決意を新たにしました。

薬丸裕英、小倉さんの生前の助言に感謝

薬丸裕英さんも、お別れの会に参列し、小倉さんとの思い出を語りました。薬丸さんは、小倉さんから「大好きな音楽をたくさん聴いて下さい」とアドバイスを受けたことを明かし、生前の小倉さんの言葉に感謝の意を表しました。

宮根誠司、小倉さんの背中を追う

宮根誠司さんは、「僕は小倉さんやみのさんの背中を自然に…」と語り、小倉さんの存在が自身のキャリアに大きな影響を与えたことを明かしました。宮根さんは、小倉さんのように、視聴者に寄り添い、わかりやすく情報を伝えるアナウンサーを目指していくと語りました。

嵐と小倉智昭さんの深い絆

嵐と小倉智昭さんの関係は、2006年から2010年まで放送された日本テレビ系のバラエティ番組『嵐の宿題くん』での共演がきっかけでした。この番組で、嵐のメンバーは、様々なジャンルの課題に挑戦し、小倉さんは、彼らを温かく見守り、時には厳しく指導しました。

嵐の宿題くん 小倉智昭

番組以外でも、小倉さんは、嵐のコンサートに足を運んだり、メンバーの誕生日を祝ったりするなど、公私にわたって交流を深めていました。嵐のメンバーも、小倉さんの番組にゲスト出演したり、相談に乗ってもらったりするなど、小倉さんを慕っていました。

二宮さんが「お父さん」と表現したように、小倉さんは、嵐にとって、単なる共演者ではなく、家族のような存在だったのです。

突然の訃報、悲しみに暮れるファン

小倉智昭さんの訃報は、昨年12月に発表され、多くのファンが悲しみに暮れました。小倉さんは、膀胱がんのため、長年闘病生活を送っていましたが、77歳という若さでこの世を去りました。

小倉さんは、フリーアナウンサーとして、数々の人気番組を担当し、その独特の語り口と鋭い視点で、多くの視聴者を魅了しました。また、競馬や音楽など、幅広い分野に精通しており、その知識の豊富さにも定評がありました。

小倉さんの突然の訃報は、テレビ業界だけでなく、多くの人々に衝撃を与えました。

小倉智昭さんの功績を振り返る

小倉智昭さんは、1947年1月25日、秋田県で生まれました。早稲田大学卒業後、東京12チャンネル(現・テレビ東京)に入社し、アナウンサーとしてキャリアをスタートさせました。

1976年にフリーに転身し、数々のテレビ番組やラジオ番組で活躍しました。特に、フジテレビ系の情報番組『とくダネ!』は、22年間にわたり、小倉さんが司会を務め、朝の顔として、多くの視聴者に親しまれました。

小倉さんは、その功績が認められ、2014年には、放送文化基金賞を受賞しました。

小倉智昭さんが残したもの

小倉智昭さんが亡くなった今、彼が残したものは、計り知れません。

長年司会を務めた『とくダネ!』をはじめとする数々の番組は、多くの視聴者の記憶に刻まれています。また、競馬や音楽など、幅広い分野への造詣の深さは、多くの人に影響を与えました。

そして、何よりも、小倉さんの温かい人柄は、多くの人に愛され、尊敬されました。

二宮和也さんが語ったように、小倉さんは、嵐にとって「お父さん」のような存在でした。小倉さんの教えは、嵐のメンバーの心に深く刻まれ、今後の活動に生かされていくことでしょう。

小倉智昭さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

嵐の今後の活動

2020年12月31日をもってグループとしての活動を一時休止している嵐ですが、メンバーそれぞれの活動は続いています。二宮和也さんは、俳優として、数々のドラマや映画に出演し、高い評価を得ています。他のメンバーも、それぞれ、ドラマ、映画、舞台、バラエティ番組などで活躍しています。

2024年、メンバーの5人で株式会社嵐を設立し、今後の活動に期待が寄せられています。嵐の活動再開を待ち望むファンは多く、彼らの今後の活躍から目が離せません。

まとめ

小倉智昭さんのお別れの会で、二宮和也さんが涙ながらに語った「お父さんでした」という言葉は、多くの人に感動を与えました。小倉さんと嵐との深い絆は、これからも語り継がれていくことでしょう。

小倉智昭さんのご冥福を心よりお祈りするとともに、嵐の今後の活躍を応援しています。

More References

二宮和也 嵐の「お父さん」だった小倉智昭さんとお別れ 「ずっと ...

昨年12月9日に膀胱(ぼうこう)がんのため77歳で亡くなった小倉智昭さんのお別れの会が17日、東京・南青山のブルーノート東京で営まれた。仕事仲間や関係者ら約700人が参列。親友の寺尾聰(77)とフジテレビ「とくダネ!」で共演したデーブ・スペクター(70)が弔辞を読んだ。グループぐるみで25年以上の親交があった嵐の二宮和也(41)は「お父さんのようなというか…もうお父さんでした」と悼んだ。

嵐・二宮和也、小倉智昭さんは「お父さんでした」 目にいっぱい涙 ...

ニュース| 昨年12月に77歳で亡くなったフリーアナウンサー・小倉智昭さんのお別れ会が17日、東京・表参道のBLUE NOTE TOKYOで行われた。 献花を終え、嵐の二宮和也が取材に応対した。「ご本人は楽しい場が好きな人だったので涙というよりは、みんなで思い出を話しながら笑って送れたのかなと思います」と話す。2006年から2010年まで放送された『嵐の宿題くん』(日本テレビ系)などで共演した。た

嵐・二宮和也 小倉智昭さんのお別れの会に参列「思い出を話し ...

参列した嵐の二宮和也は、小倉さんについて「楽しい場が好きな方だったので、みんなで思い出を話しながら見送ることができてよかったと思います」とコメント。続けて「小倉さんは番組にいらっしゃる方の作品をきちんと見ているんですが、それとは別に、嵐のDVDやメンバーの出演作に時間を割いてくれました」と明かし「僕らと一緒に番組を作る時も、『僕も初めてだから一緒に楽しもう』と言ってくれた。最後まで心配してくれていた気がしますが、大人なので心配させないように頑張りたいです」と思い出を振り返った。

二宮和也、嵐デビューから26年…小倉智昭さんは「お父さんみたい ...

小倉智昭さんとの思い出を話す二宮和也(代表撮影) <小倉智昭さんお別れの会>◇17日◇ブルーノート東京 ぼうこうがんのため24年12月9日に77歳で亡くなった、フリーアナウンサー小倉智昭さんのお別れの会が17日、東京・港区のブルーノート東京で行われた。参列した嵐の二宮和也(41)が囲み取材に応じ「お父さんみたい…というか、お父さん」と声を震わせ、目を潤ませた。 【写真】「小倉智昭さんお別れの会」の

二宮和也が涙 小倉智昭さんは「お父さん」「嵐のDVDやドラマ見て ...

昨年12月に膀胱(ぼうこう)がんのため亡くなったキャスターの 小倉智昭 さん(享年77)のお別れの会が17日、東京都港区のブルーノート東京で行われた。会に参列した嵐の二宮和也(41)が目を潤ませながら報道陣の取材に応じた。