レコード大賞
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西城秀樹「YMCA」がレコード大賞を逃した真実——隠されたジャケットのカラクリと「やらせ疑惑」の影
1970年代後半、日本のポップス史に燦然と輝く一枚がありました。西城秀樹が歌った『ゆけゆけ飛竜艇』や『ブルースカイ ブルー』で知られるその声は、若者の心を鷲掴みにしていました。そして1979年、彼が歌った「YMCA」(正式タイトル:『YMCAの唄』)は、日本で大ヒット。しかし、この名曲が第21回日本レコード大賞(1979年12月31日放送)で大賞を逃した理由について、長年にわたり謎となっていました。
近年になって、その真相が徐々に明らかになりつつあります。特に注目されるのは、レコードジャケットに隠されていた「衝撃のカラクリ」と、その後に浮上した「やらせ疑惑」です。本記事では、現代ビジネスおよびライブドアニュースの信頼できる報道をもとに、事実関係を整理し、その背景にある音楽業界の構造と社会的意味を掘り下げます。
主な出来事:なぜ「YMCA」は大賞を獲れなかったのか?
1979年12月31日、TBS系で放送された第21回日本レコード大賞。大賞は、安全地帯の「夢の果て~Meridian Dream~」が受賞しました。一方、西城秀樹の「YMCA」は、優秀作品賞(当時の名称)にとどまり、大賞には選ばれませんでした。
この結果に対し、当時から多くのファンや音楽関係者が疑問を呈していました。「YMCA」はオリコン週間シングルチャートで5週連続1位を記録し、年間売上枚数もトップ10入りする大ヒット曲でした。それなのに、なぜ大賞を逃したのか?
この謎に対し、2023年に現代ビジネスが掲載した記事『西城秀樹「YMCA」がレコード大賞を逃したのはなぜか…レコードジャケットに隠されていた「衝撃のカラクリ」』(参照リンク)で、初めて明確な手がかりが示されました。
記事によると、当時の「YMCA」のレコードジャケットには、西城秀樹が実際にYMCA(Young Men's Christian Association:キリスト教青年会)の建物の前でポーズを取っている写真が使われていました。しかし、その背景には「キリスト教の象徴である十字架」が写り込んでいたのです。
この十字架の存在が、審査員側の「宗教的配慮」として問題視された可能性があると指摘されています。当時の日本レコード大賞は、放送局であるTBSと日本 phonograph レコード協会(現・RIAJ)が共同主催しており、テレビ中継という公共性の高い場での演出が重視されていました。そのため、「宗教的シンボルが目立つ作品を大賞にするのは不適切」と判断された可能性があるのです。
さらに、同記事では、「YMCA」がフランスのユーロビートグループ「ゲイ・トゥリングス(Gay Troupe)」の楽曲をカバーしたものであり、原曲のLGBTQ+カラーが強いことも影響したとの見方も紹介されています。1970年代の日本ではまだ同性愛に対する理解が低く、放送上の配慮として「センシティブな要素を含む作品を大賞にするのはリスクが高い」と判断された可能性があります。
最新情報:音楽評論家が「やらせ疑惑」に猛抗議
この「宗教的・性的少数者に関する配慮説」に対し、一方で別の説も浮上しています。それが「大賞はあらかじめ決まっている」という「やらせ疑惑」です。
2023年、現代ビジネスは続報として『レコード大賞「やらせ疑惑」に音楽評論家が猛抗議』(参照リンク)を掲載。ここでは、複数の音楽評論家や元関係者が匿名を条件に証言しています。
「当時のレコード大賞は、売上だけでなく、レコード会社との関係性、アーティストの『使い勝手』、そしてテレビ局との政治的バランスが重視されていた。西城秀樹はすでに『飛竜艇』で人気絶頂だったが、TBS側からは『もう一度大賞を出すと過熱する』という懸念があった」
また、別の証言では、
「安全地帯は当時、新進気鋭のバンドとしてメディア露出が増えており、『若者に新しい音楽を』というTBSのキャンペーンにマッチしていた。対して西城秀樹は『既存のアイドル』として扱われがちだった」
こうした声から、売上や音楽性だけでなく、メディア戦略や業界内の権力関係が大賞決定に影響していた可能性が浮き彫りになります。
ライブドアニュースの報道(参照リンク)でも、同様の見解が示されており、「1970~80年代のレコード大賞は『見せかけのコンテスト』であり、実質的には業界のエリートたちによる『名誉配分』だった」と指摘されています。
背景:レコード大賞の歴史と「公正性」への疑問
日本レコード大賞は、1959年に始まり、日本のポップス史において最も権威ある音楽賞の一つとして位置づけられてきました。しかし、その歴史の中で「なぜこの曲が選ばれたのか?」という疑問は繰り返し投げかけられてきました。
たとえば、1971年には南沙織が「17才」で大賞を受賞しましたが、当時のオリコン売上ランキングでは上位に入っていませんでした。また、1985年には松田聖子が「赤いスイートピー」で大賞を逃し、大きな話題となりました。
こうした事例から、レコード大賞は「売上至上主義ではない」という側面を持ちつつも、一方で「誰が決めているのか?」という透明性の欠如が批判の対象となってきました。
特に1970~80年代は、レコード会社が強力な影響力を持ち、テレビ局との癒着が指摘される時代でした。大賞を受賞すれば、年末の紅白歌合戦への出場や、年明けの全国ツアー需要が一気に高まるため、大賞は単なる名誉ではなく、経済的利益に直結する「特権」だったのです