玉鷲
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玉鷲、38歳の壁を越えて…その素顔と現在地、大相撲が見せる「老壮の美学」
大相撲の土俵には、若さと力強さが花開く瞬間もあれば、長く輝きを続けることの尊さを教えてくれる瞬間もある。今、その場所で静かに、しかし確かに存在感を示しているのが、年寄「玉鷲(たます)」こと、元小結・玉鷲一朗(たます いちろう)である。
2025年現在、38歳という大相撲では「最年長」クラスで現役を続ける彼を巡る話題は、単なる勝敗の結果を超えて、日本人が好む「職人的な生き様」そのものを物語っている。最新の話題を追いながら、その魅力の核心に迫る。
話題の中心:38歳の鬼、佐田の海を破る
「まずいと思って振りほどいたら、意外とあっさりと勝っちゃった」
これは、2025年11月21日付の日刊スポーツ紙上に記された、玉鷲の言葉である。話題の舞台は九州場所、対象は番付上位の佐田の海(さだのうみ)だ。
佐田の海は、三役(小結・関脇)でも屈指の強豪で、玉鷲が勝つのは「逆指名」的な展開に見えたかもしれない。しかし、結果は玉鷲の勝利。38歳の古豪が、現役最強クラスの力士を下した瞬間だった。
この勝利の背景には、老けたる者の持つ「強さ」がある。日刊スポーツの記事にある彼の言葉は、余裕と一所懸命さを同時に伝えている。佐田の海のような強豪を破ったからこそ、その勝利は単なる一勝利にとどまらず、「年齢を超えた強さとは何か」を問うてきている。
「玉鷲」という名前の由来とその素顔
彼の四股名「玉鷲」は、その生い立ちは、相撲部屋の出世とは少し毛色の異なるエピソードを持っている。
Yahoo!ニュースに掲載された婦人公論.jpの記事(2022年4月19日)によると、彼の初来日は2003年、大学生の時。ホテルマンを目指していた彼は、留学していた東大大学院の姉の元に遊びに来た際、日本の「ほっともっと」や「マクドナルド」の美味しさに衝撃を受け、そのまま日本に定住。相撲との出会いは、その生活の延長線上にあったという。
「幕内最年長力士・玉鷲一朗 初来日は大学でホテルマンを目指していた03年。東大大学院に留学中の姉の元にきたら「ほっともっと」や「マクドナルド」の美味しさに衝撃を受け…」
このエピソードは、彼が純粋な「相撲漬け」の人生ではないことを示唆している。異文化の中で自らの足で土俵に立つ選択をした彼の人生は、結果的に「長く続ける」という大相撲における極意と重なる。
なぜ今、玉鷲が注目されるのか?
玉鷲が単なる「ベテラン選手」ではなく、特別な存在として認識され始める背景には、大相撲を取り巻く環境の変化がある。
1. 「老壮」の美学の再評価
現代のスポーツ界では、20代後半で「 veteran(古参)」と呼ばれることが多い中で、38歳が現役で戦い、かつ上位力士と互角に渡り合う姿は圧巻だ。彼は単に「長く続けている」だけではない。佐田の海戦のように、実力者を相手に「技」で勝負する場面も見せる。その姿は、ファンにとって「努力の結果としての強さ」を体現している。
2. 異色の経歴が持つ親近感
ホテルマンから大相撲力士へ。そして、最年長力士へ。そのキャリアは、まさに「大相撲ならでは」の多様性を物語っている。彼の存在は、土俵が多様な人生を受け入れる場所であることを示す証でもある。
現在の状況と今後の展望
2025年現在、彼は年寄「玉鷲」としての現役生活を送っている。大相撲の年寄制度において、現役と年寄を兼務するケースは珍しくないが、彼の場合は「現役の強さ」が年寄としての横綱・大関への配慮に繋がっている。
38歳の壁とその先
一般的に力士のピークは20代後半から30代前半と言われる。それ以降も現役を続けるには、筋肉や関節の衰えとどう向き合うかが課題となる。玉鷲の試合(特に佐田の海戦)を分析すると、無理な力押しはせず、相手の力の流れを巧く利用する「柔」の境地が垣間見える。
今後の展望として、彼が「勝ち越し」を続けるか、あるいは若手への指導に徹するかは、体調との相談になるだろう。しかし、彼が38歳で存在し続ける意味は大きい。
- 若手への影響: 彼の存在自体が、若手にとって「長く続けること」の目標となる。
- 番付の厚み: 上位に年長力士が存在することで、上位陣の戦いはさらに熾烈さを増す。
まとめ:玉鷲が教える「長く続ける」ことの価値
玉鷲一朗という力士は、大相撲という世界で「成功する」ということの定義を広げている。
彼がプロモーションで語った「ほっともっと」や「マクドナルド」の思い出は、彼を日本に留まらせた。その選択が、今日の「最年長力士」としての輝きを生んだ。
2025年、九州場所で佐田の海を破った瞬間、ファンが見たのは、ただの勝者ではなく、38年という歳月を土俵の上で刻み続けた男の姿だった。玉鷲の今後の活躍から目が離せない。彼の土俵上の姿は、明日の勝者へのエールであり、そして大相撲という競技の奥深さそのものだからだ。